100キロハイク

雨が降りしきる中、100kmハイクがスタートした。長く深い旅路の始まりは、拍手と歓声とで華やかに幕を開けた。1年生にとって初めての100kmの道のりは未知の世界へのチャレンジでもある。僕は二回目の100kmハイクで、なるべくたくさんの後輩を完歩させたいと意気込んでいた。4年生にとっては最後の100kmハイクである。それぞれがそれぞれの気持ちを胸に抱き私たちは歩みを始めた。

 

暗闇が迫るとともに、雨風は勢いを増し私たちの意欲を削いでいく。それでも決して歩を止めるわけにはいかない。雨や寒さ、疲労、足の痛みが歩のペースを落とさせた。自然は今年度のローバーに少しばかり厳しい気もするが、それが自然のあるがままの姿なのだなと思う。コンクリート上に拡がる水溜りを気にもせず歩いた。靴の中はすでに浸水し、それが足の裏の感覚を失わせた。ようやく日付が変わる。雨は次第に弱まり、少しずつ静かに消えていった。『長い夜だ…』苦痛を顔に浮かばせ歩く後輩の姿といつの間にか澄み切った星空を見ながら思った。

 

50km地点で私のバディはリタイヤせざるを得かった。とても難しい決断だった。悔しそうな表情は絶対に100km歩くという僕の意志の支えとなり、僕は先に進むという決断をした。朝日が昇るころには70km地点近くまで来ていた。僕らは確かに疲弊していた。しかし光り輝く朝日が僕たちの身体に降り注ぎ、いくらか気持ちを安らげた。なんてことは、まるでない。少なくとも僕にとっては、その朝日は、けだるさしか感じさせなかった。気温はあがり、その明るさが果てない道を照らす。朝焼けの中で薄味のアップルティーの配給が僕をなんともいえない気持ちにさせた。ここからは一人で先を目指すことを決めた。

 

小走りで先を急ぐ。まだまだ足は動くようだ。少なくとも昨年よりは。少しだけの成長に、複雑な気持ち(もっと成長している姿を昨年の100kmハイクを終え想像していた。)を抱きながらCp6を目指した。ペースは良かった。しかし、ここで落とし穴が待ち受けていた。Cp6が全く見当たらない。視界を広め、耳を澄ました。それらしきものは何もない。実はCp6とは全く異なる方向に歩を進めていたことを知ることになる。(苦笑)国分寺市役所が国分寺駅の近くにあるわけではないのだ。国分寺市役所は、Cp6は、恋ヶ窪駅の付近に存在するのだ。さすがに精神的にこたえた。時間的にも体力的にもこの曲がり角の先にCp6が無かったらリタイヤしようと思った。その矢先にCp6が姿を現す。そして、明らかに僕が先行していたはずの4年生の先輩の姿も。これが運命なのだ。と思った。この先輩について行けば迷うことも無いだろう。

 

すでに足をまっすぐに踏み出すことさえ出来ず、恐る恐る確認した足裏には大きな豆や水ぶくれが痛々しかった。途中何度も弱音を想い、吐き、休憩を懇願した。本当に辛かったが、それでも昨年の完歩経験がその辛さをいくらか和らげた。この辛い時を乗り越える事でしかゴールすることは出来ないということは分かっていた。分かっていてもついつい弱音が口からこぼれるのが情けなかった。4年生の二人が先を行き、僕がうつむき加減でその後を歩く。そんな中、最後の多摩川を渡るシーンは、先輩達の4年間の集大成を見ているかのようで、僕の目頭を熱くさせた。その時ばかりはまばゆく太陽が心地よく感じられた。そしていよいよ再び歓喜の瞬間が訪れる。先にゴールした主将の姿が見えた時、僕は安堵感で包まれていた。何のこともなく閉会式が行われ、大会に幕が下ろされた。帰りの電車はとても奇妙だった。僕らが丸一日かけて歩いた道のりをなんでもないかのように走って行く電車。それになんでもないかのように乗車してくる人間。そんなことを思いながら瞼を閉じると、あっという間に家路に着いた。

 

部員一人一人の様々な顔が見えたイベントだった。普段見えないような顔がそこにあり、それは僕の心を揺れ動かした。心から涙が溢れた。そんな経験も過ぎ去ってしまえば、なんてこと無い様にも思える。しかし、2回目の100kmハイクも仲間の様々な顔と共に僕の胸には強く深く刻まれただろう。1年目の100kmハイクが今年の僕を強くしたように、来年は200km分の経験が僕の心を強くするだろう。11歩少しずつ前に歩く事は、少しずつ成長を実感出来る事なのかもしれない。

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